2007年04月25日

爽やかな都田の風C〜天竜川決戦〜

【爽やかな都田の風C〜天竜川決戦〜】2004.5.8


都田とHondaFCの歴史を語る上で、どうしても欠かせないことがある。

「天竜川決戦」

それは、浜松と天竜川を挟んだ磐田に本拠地を置く、最大のライバル、ヤマハ発動機との試合である。

オートバイメーカーとして、熾烈なシェア争いを繰り広げた80年代前半、HONDAとYAMAHAは、HY戦争(またはYH戦争)と呼ばれる、血で血を洗うような激しいオートバイの販売合戦を繰り広げていた。
この当時の両社の社員や関係者のライバル意識は相当なものだったと言われている。
両者のサッカー部の強化も、日本リーグ1部に昇格したこの当時から本格化してきた。特にこの戦争が激化したのが81〜84年であり、両チームの日本リーグ1部の黎明期にあたる。

そして、その両者が激突する試合こそ、日本のダービーの原型とも言われる「天竜川決戦」なのである。

残念ながら、優勝を争う場面は少なく、浜松市VS磐田市という欧州でよく見られるような都市間抗争の図式ではなく、HONDAとYAMAHAという同業種の企業間抗争から生まれた、きわめて日本的なダービーであったことは確かだ。

しかし、順位とは関係なく、「この相手だけには負けたくない」といった互いの意地と意地のぶつかり合いで、ピッチ上やスタンドは例外のないほど白熱したと言われている。

そして、それに伴いピッチ内だけでなく、設備、主に互いのホームグラウンドである都田と東山も、両者意識し合う様にスタンド改築などを進め、結果的に両者のインフラの整備に一役を買うことになる。

70年代から80年代にかけての同時期に、同じような道のりで強化し、同じようにインフラを整備し同じような成績を辿った両者。

しかし、93年のJ開幕を境に、両クラブ・両サッカー場の進む道は大きく異なることになる。

J加盟に1年遅れながら、リーグ優勝3回、更にはJリーグ通算の最高勝率を誇り、そしてアジアチャンピオン(99年)にも輝き、まさに名実共日本のトップクラブの一員となったヤマハ発動機(ジュビロ磐田)。
長期ビジョンに立ち、強化に邁進した10年とも言える。

そのクラブの輝かしい歩みと共に、ホームスタジアムも増改築を進めてきた。

ジュビロ磐田の本拠地、ヤマハスタジアムは日本リーグ時代「ヤマハ東山グラウンド」と呼んでいた。それが、93年、J加盟にあわせ、「ジュビロ磐田スタジアム」と改称し、同時に名物のバックスタンドなどの大増築を行い、更に95年ホーム2階席増設、02年ネスレビジョン(オーロラビジョン)設置、03年、「ヤマハスタジアム(磐田)」と改称しラグビートップリーグなどの舞台としてサッカーと併用し、04年の今年はスタジアムに横にグッズショップが開設されて今に至っている。

スタジアムに集う人も、レプリカをまとった若年層の男性や女性がゴール裏の大半を占めるようになった。

それに対して、創業者精神と共に頑なにアマチュアに拘り、日本リーグ時代から大きく変わらないクラブ、そして若干のスタンド増設はあったものの、大きく変わることなく、以前の、日本リーグ当時の雰囲気を伝えるHondaFCと都田サッカー場‥

02年から完全アマチュア化を果たし、地域に根ざした企業クラブを目指したHondaFC‥

変化した東山とYAMAHA、変化を拒んだ都田とHonda‥

共にクラブ方針を主張し合ったような10数年の歩みは、ある意味タイムアップがない「天竜川決戦」と言えるのではないだろうか。

この両者の、あまりにも強烈な10数年のコントラストを、今のヤマハスタジアムと都田サッカー場で体感することは、ある意味サッカーの勝敗よりも数倍面白いかもしれない。
(2004.5.8記述)
posted by 東山米鈍 at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 国内サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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